黒蘭の蔵

気に入ったもの、気になったものを放り込んでおく蔵
2012/04/01(日)
ステマという言葉をご存知だろうか。
ステマとは「ステルス・マーケティング(Stealth Marketing)」の略称とされている。
「Stealth」とは「こっそり、ひそかに」といった意味。
商品・サービスの提供者、あるいは依頼された者がそれを明らかにせず、一般の消費者を装ってその商品・サービスを宣伝する手法のことである。

宣伝内容の真偽に関わらず、こうした手法自体が消費者をだます不誠実な行為であると言えよう。
また、インターネットの普及に伴い、一般の消費者自身が様々な商品・サービスの感想などを広く発信することが可能になった反面、その宣伝者という立場を隠して発信する者との見極めが困難といった問題もはらんでいる。

今年初めに大きな話題になったことで覚えた方も多いかと思うが、実はこのステマの語源が「ステルス・マーケティング」の略称ではないと言ったら驚かれるだろうか。
何を隠そうステマの語源は人名から来ているのである。

以下、長文になるが興味のある方はお付き合いいただきたい。


実はステマの語源となった人物は日本人であった。
その人物の名は猿野捨丸(さるのすてまる)
江戸時代後期の滑稽本作家と言われている。
「言われている」というのは、彼が残したとされる作品というのが数冊しか残っていない上、完全な状態のものがなく、題名すら明らかになっていないためである。

ただ、複数の史料から大まかな人物像を捉えることができる。
猿野捨丸というのは勿論、実名ではなく変名である。
やはり実名も定かではないが、その出自はなんとも生々しい。

捨丸は、とある商店の若旦那とそこに奉公に来ていた娘との間にできた子であった。
しかし二人が夫婦になることはなく、捨丸は母親ひとりの手で育てられた。
若旦那が手癖の悪い男だったのか、それとも、互いに気持ちはあったものの身分の違いを感じた娘が自ら男のもとを去ったのかは定かではない。

貧しいながら読み書きを覚えた捨丸。
奉公先では仕事をするよりも、周囲に作り話やホラ話を聞かせていることが多かったようだ。

捨丸が10代後半の頃、病に倒れた母親が他界すると彼は家財道具や茶器などを売り払い、その金を元手に自ら本を書き上げ出版する。
このときから「猿野捨丸」と名乗ることになったようだ。
猿の捨てた子ども」というような意味が込められているらしい。

出版はしたものの、思ったより評判は得られなかった。
そこで捨丸は知人数人に金を渡し、その本を読んで笑ったり、「面白い」と感想を言い合ったりするよう依頼したのである。

しかしそれらの行為はすぐにバレてしまい、報酬を受け取っていることを明らかにせず宣伝する者を「サクラ」というのに対し、それを依頼する行為をステマると呼ぶようになったのである。


というのが明治以降、我が国で信じられてきた学説である。
ところが近年の研究では、この「猿野捨丸」なる人物は実在しておらず、これまでの話は作り話である可能性が高まっている。

ここでさらに、もうひとりの人物を紹介しよう。


その人物の名はステファン・マルチェッロ(Stephan Marcello)
イタリア・ルネッサンス期の劇作家である。

ステファンはいわゆる捨て子であった。
幸いにして良家に引き取られたが、子どもがおらず高齢であった養父母は、少年ステファンにかなり厳しい教育を受けさせていたようである。
一方で青年期にはその外見の良さもあり、数々の女性と浮き名を流したと伝えられる。

23歳のときに養母が、25歳のときには養父が他界し、その資産のすべてをステファンが受け継ぐことになった。
この時期、ステファンの劇作家としての仕事はそれなりに評価されていたと言ってよいだろう。
彼が友人に、密かに報酬を渡して作品の宣伝をしてもらったという記録はない

ステファンが宣伝してもらったのは彼自身であった。
実はステファンはかなりの権力欲を抱いていたと思われる。
より高い地位、家柄の人物に気に入られるため、友人・知人に金を渡し、ときに大げさに、ときにも交え、自らを売り込んだ。

一時はサルヴェッティ家の令嬢と恋仲になったが、やがて数々の嘘が明るみになり、ステファンは社交界から追放されてしまうこととなる。
協力者への口止めのために多額の金銭を費やし続けていたこともあり、彼の引き継いだ家は没落。
その後のステファン・マルチェッロに関する記録は今のところ見つかっていない。


厳密に言うと、ステファン・マルチェッロという人名がステマの語源ということではない
ステマの語源はやはり江戸時代後期に作られた猿野捨丸のから来ているのであるが、「猿野捨丸」という人物は実在しておらず、そのモデルとなったステファン・マルチェッロという人物がいたというのが現在の学説である。

捨丸の話はステファンのものと異なる部分も多いが、イタリアから伝わっていくうちに変化していったり、当時の日本人が江戸風にアレンジしたものと思われる。
ステファン・マルチェッロから「ステ」「マル」を取ったのは分かるとして、捨丸の苗字をサルヴェッティから取った「猿野」にしたのは、ステファンに対する同情もあるのかもしれない。


最後に、近年の研究で、明治以降に付け加えられたと思われる、捨丸のその後のエピソードを少しだけ紹介しよう。

捨丸の著書はその後も評判を得ることはなかった。
宣伝行為が露見したからではなく、単純に受けなかったからである。

ところがあるとき捨丸は、数ヶ月おきに店に現れては彼の本だけを買って行く男の話を耳にする。
男は商店を営んでおり、来る客に捨丸の本を貸しているのだそうだ。
何人もの客の手に触れるうちにボロボロになってしまうため、定期的に買いにやって来るのだ。

その日から捨丸は、しばしば本屋の前を覗くようになる。
そしてある日、彼の本を手にした男が出てくるのを見かけ、後ろから声をかけた。
「あんた、もしかして」

男は背を向けたまま、声を詰まらせながら言った。
「わたしは、ただの、猿だ」

この記事へのコメント
ふむふむ、なるほどー、
そんな事実があったなんて。
特に太線は要注意と言うことですね。
2012/04/01(日) | URL | FUJI #-[ 編集]
はい。
世にあるテキストは、太線や色付きの部分さえ押さえておけば大体大丈夫です。
2012/04/02(月) | URL | 喜石黒蘭 #gCBQAbbg[ 編集]
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